新年早々の惨事によせて

一日の能登半島地震に続き、二日には飛行機の衝突事故と大変な新年の幕開けとなりました。

どちらも多くの犠牲者がでており心が痛みます。どうかこれ以上被害が拡大しませんように。

毎年三が日は午前と午後の二回、ご本尊お薬師さまと阿弥陀如来さまの前でお勤めをいたします。昨日、今日はこのお勤めの際、ふたつの惨事で犠牲になられた方々の魂を慰めるべく、お経を唱えました。どうか安らかでありますように、そして二度とこのような惨事がありませんように。

施餓鬼法要

18日、台風7号の影響が心配されましたが、前日までの雨予報も跳ね返し、施餓鬼供養にあわせて先祖供養が無事行われました。
今年は3名の役員さんにも手伝っていただき、おかげで例年以上に盛会に法要が進められ、ありがたいことでした。
落合泰宏様、立石忍様、江原幸男様、お世話になりありがとうございました。

暑い中でも可憐に白百合が咲きました。
こぼれ種で境内に数か所根付いたもの、その生命力はすごい!

浅草から毎年届けていただくほおずきも元気に赤く実をつけて
夕方から参拝の方が多くみえました
夕刻7時、厳かに式が始まりました
一年に一度、餓鬼に施しをすることで功徳をいただくことができます




お盆のお勤め

  1. 各地で異常な暑さが続いていますが、みなさま良いお盆をお過ごしのことと思います。
    明日はもう仏送り。暑い暑いと言いながら、もう夏が過ぎようとしています。
    8月18日は施餓鬼法要があり、これが終わるとお寺の夏の行事も全て終わりです。
    約一ヶ月、これまでのお寺の様子を振り返ってみます。
    今年も無事にお勤めを終えられたことが何よりでした。

    棚経が始まった直後、この頃から暑さと湿気が厳しかったです。
    弟子の孝胤(こういん)さんもお参りに行かせてもらうことがありましたが、笑顔ばかりではありませんでした(笑)

    8月6日、9日には広島、長崎に想いを馳せて鐘をつきました。

    今日は遠方の檀家さんがお参りになり、合同棚経と合同初盆のお勤めをしました。可愛いペンやイラスト、ポストカードなどをあしらってつくる孝照さんのお手製看板です!

    会場で初めてお会いになった檀家さん方も、ご先祖様のおかげでこの場に集い、一緒にご供養ができました。これも仏様が結んでくださったご縁ですね。遠方よりご苦労様でございました。

     

弁天まつり

6月28日、巳の日に弁天まつりが行われました。
雨の予報で大変蒸し暑いなかでしたが、今年はみなさんにもお参りしていただきました。コロナ以降数年ぶりのことです。
お堂の中とはいえ、法要中も足を楽にし、心も体もリラックスしてもらうことが一番。
きちんとしなければならないと思わず、ご自身の心に仏様を近く感じることが大切です。
みなさんどうぞ気負わずお参りくださいね。

今月上旬には孝照さんと孝月さんが木に登って梅を取ってくれました。
さすがに息のあったコンビですが、必ずケンカもセットです(笑)
この後、古木の中にうずもれるように脚立を一本足で立てたり…なんとも危ない!見ているこちらは冷や冷やしました。



歓喜天さま前のザクロの花
ニッコウキスゲ

6月1日、サツキが満開でした。
お塔婆を持って来られた檀家の方が、きれいですねとしばらく眺めていってくださって何だか嬉しかったです。

 

 

東日本大震災犠牲者を想い

3月11日、震災発生より今年で丸12年となる今年は13回忌法要を行い、寺内の者で心を込めて追悼いたしました。

12年前のこの日、東北地方は雪が舞い、当地も大変に寒い日でした。
あの凄惨な状況は、テレビの映像を通してみている我々まで恐怖と寒さに震えるようでした。そのことは今でもはっきりと思いだされます。

今年は連日暖かい日が続き、境内の木々は次々と花を咲かせています。
犠牲者の魂を悼むと同時に、被災された方々、そして生かされた方々の心に一輪でも多くの花が咲くことを願いました。

2時半頃からお勤めを開始しました

2時46分には読経のなか、静かに祈りを捧げました

2時46分、境内では鎮魂の鐘を打ちました

12年前、四十九日法要の際には、東の方角に向かって大きな角塔婆を建立しました

樹齢100年を過ぎる梅の古木、この日花は満開に

一週間前はまだ蕾も沢山あり、風情いっぱいでした

枝垂れの白梅

こちらは、同じ一本の木に紅梅と白梅が混ざって咲いています

山茶花も咲き乱れ

毎年いただく啓翁桜、今年は玄関前に生けてみました

花が咲いてからも長く楽しめます

玄関の生け花も春の花で溢れています

木瓜・菜の花・つげ

黒猫柳・トルコ桔梗・ユーカリ・麦
青麦の花言葉は『希望、繁栄、豊作』
東北の地へ届きますように

 

あけましておめでとうございます

今年はこの辺りでは珍しく雪のない年末年始となりました。
皆さまお健やかに新年を迎えられたことと存じます。
今年も法要やお寺の様子など、お伝えしていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

「住職よりご挨拶」
あけましておめでとうございます。
本年も穏やかな年であるよう、微力ながら努めたく存じます。
幸せの価値というものが変わってきた今、目先の賑やかなことにとらわれず本質をよく見極め、じっくりと考え自分のおかれた場所で丁寧に暮らす、それが私達に安心を与えてくれることなのではないでしょうか。
佳き年となりますように。
國分寺住職 田中 孝楓

大晦日の夜
今年は日付が変わってから参拝の方がちらほら

若い方のお参りが多かったようです

煩悩の数だけ108回鐘を打ちます
皆さん一心に

午前と午後の一日二回、一時間程かかる「修正会」(しゅしょうえ)を三が日執り行います

産まれたときからずっと子供達も一緒にお勤めさせてもらい、今では難しいお経もそれなりに読めるようになりました

橙の代わりに、お供えいただいたゆずと、これまた別の方からのお供えの干し柿を鏡餅に

元旦の朝、境内の南天が青空に映えてとてもきれい

冷たい空気のなか、マユミのピンクが愛らしくほっこり

玄関幕は名誉住職孝照さんの字で「國」と書いてあります

今年は住職孝楓さんが玄関前の大作に挑戦

お供え用の鏡餅が立派にできあがりました
お正月花はシックに枝若松と万年青です

三が日は年頭のご挨拶にみえる檀家さんをお迎えします
枝若松・孔雀の羽

この方なしでは語れない

早いもので今日から12月、全国的に寒い日となりました。
師走の声をきくと、いっぺんにせわしなくなりますね。
これからは寒さ対策をしっかりとして、元気に冬を乗り切りましょう。

さて、少しブログの間が開いてしまいましたが・・・
秋には大きな法事が執り行われました。名誉住職孝照さんの祖母、「田中つな」さんの50回忌法要です。

この方、比叡山麓の坂本村に生まれ、後に國分寺101世住職となる孝正師の妻となりました。比叡山のお寺の住職であった孝正師は、國分寺の住職欠員にあたり地元檀家に懇願され、特命住職として津山の地へ赴任することとなり、つなさんも6人の子どもを連れて津山に赴きました。ところが数年後の大正8年、孝正師は48歳の若さで急逝、一説にはスペイン風邪が原因とも言われています。当時第一子である後の102世住職孝円師は、天台宗比叡山中学三年の17歳、末子は生後半年の乳飲み子だったそうです。
夫の孝正師亡き後は、外来者であるうえに大黒柱を亡くし、大変な苦労をしながら女手一つで子を育て、孝円師が比叡山での修行を終え津山の地に戻るまでお寺を守っていかれたそうです。

そんなつなさんが目に入れても痛くないほどに可愛がっていたのが、孫の孝照さんです。その孝照さんが50回忌法要を務めることは、互いにこの上なく嬉しいことでしょう。晩年まで、一生懸命に境内の草取りをするつなさんの姿が、孝照さんの目には焼き付いているそうです。強い意志と丈夫な身体で90歳までこのお寺を守り抜いた生き様は、寺婦の鏡と言えるでしょう。

この日は孫、曾孫、玄孫の三世代が集い、つなさんの人生に想いを馳せました。





 

秋の弁天まつり~2022

先日、巳の日に「弁天まつり」を行いました。
今年はコロナ禍以来、初めて檀家の皆さまにもお参りしていただき、10数名のご参拝をいただきました。

唱えていただくお経は「諸天讃(しょてんざん)」というもので、いつもご法事などで聞くものとは雰囲気が少し違って、明るく楽しく気持ち良くなるような旋律のお経です。
このお経を聞いた弁天様が、我々の元へ舞い降りてきてくださったでしょうか?
それは私にはわかりませんが、久しぶりに皆さまと一緒に「おんそらそば ていえい そわか」のご真言を大きな声で一心にお唱えしていたときには、弁天様に我々の思いがしっかりと通じていることを感じました。

さて、その法要の最後に孝楓住職さんからご挨拶があり、そのなかでこんなお話がありました。

30年ほど前のお話 ...

比叡山の弁天堂で小僧生活をしていた孝楓さん。
弁天様は神様ともいわれ、他の仏様とちょっと違うところがあります。
そのひとつはお酒をお供えするというものです。
一番下座(下っ端)である若い孝楓さんは、そのお酒を毎朝取り替えるのが仕事でした。

ある日の朝、目が覚めると頭が痛くて痛くてたまりません。いつもと違ってどうしても動きたくなくて、今日はお酒を替える仕事を休ませてもらおう、たった一度だけのこと、と怠け心がでてしまいました。
そうしていつもの仕事をしないまま朝のお勤めが始まりました。
孝楓さんはあまりの激痛に、ぼんやりしながら朝のお勤めをしていましたが、やっぱりどうにもお酒のことが気になって仕方がない。
そこで、お勤めが終わった後にはなりましたが、弁天様のお酒をお替えしました。
これで少し罪悪感がなくなった孝楓さんが一歩お堂の外へ出た瞬間、今まで頭を締めつけるように痛かった頭痛が嘘のようにすーっと消えていったのです。
その時孝楓さんはこう思ったそうです。
「なんと弁天様とは慈悲深い仏様なのか。私が悪い心をおこしてサボってしまったというのに、改心しさえすれば、その過ちを赦してすぐにおかげをくださるのか」と。
それ以来、怠け心が一瞬芽生えたとしても、常に誠実に仏道に励んでいるそうです。

そのエピソードを披露したうえで、こうも話されていました。
「こんなに慈悲深い弁天様にお参りなさった皆さまにも、きっとたくさんのおかげが、すぐにいただけることでしょう。皆さまが福男、福女となってご家族やご近所さん、お友達などにそのおかげをお裾分けしてください。」

秋晴れの爽やかなお天気のなか、清らかなお堂で弁天様のこのようなお話にふれ、気持ちのよい時間を過ごすことができました。

秋の出来事

やっと秋らしい爽やかな時候となりました。
暑すぎず、寒すぎずというこの好季節は昔に比べて短くなってきたように思いますが、雲の流れや虫の声、金木犀の香りにしばし心が安らぐ瞬間が、一日のなかで何度となく訪れます。

お彼岸前の週末には岡山県も大型台風が直撃し、お寺でも古い木が折れたり、お堂のガラス窓が割れるという被害がありました。
皆さまのところは大丈夫でしたでしょうか。

さて、9月には二つのニュースがあったので、ご報告します。

ひとつめは、お彼岸中日に美咲町(旧柵原町)休石(やすみいし)にある國分寺の兼務寺、西福寺(さいふくじ)で秋祭り法要が行われました。
山の上にひっそりと建ち、上品な阿弥陀様がそっとお祀りしてあるお寺です。

※2021年7月8日のブログでこのお寺のことをお話しました。最下部の「検索」という欄に「西福寺」と入力すると、前の記事がご覧になれます。

これまで西福寺では、春と秋の年二回、少ない人数ではありますが檀家全員が集まり、法要で歴代住職さまと檀家各家のご先祖供養をしてきました。
これはこの小さなお寺ならではの、とてもよい行事でした。
しかし、コロナ時代に突入してからは、皆でお参りすることもかなわず、大変残念なことです。
それでも今年は、法務の合間に國分寺からもお参りすることができ、孝楓さんの家族と共に一心にお勤めをしました。
美しいお顔の阿弥陀様も、静かに微笑んで喜んでくださっているようでした。



そして、ふたつめのニュースは・・・
孝照さんが9月13日にめでたく80歳の誕生日を迎えました!!
傘寿ということで、家族でささやかなお祝いを。
スマイルマークをデザインした黄色のTシャツに、幼名である「TAKAYUKI」の文字を入れてプレゼント。これからは「孝照さん」を時には離れて、人生を楽しんでほしい、という想いを込めました。
人並みに病院通いに忙しい身の上ですが、いつまでも元気で厳しい師僧、父であってほしいと願っています。

~孝照さんよりひと言~
「目標は80歳を迎えることでしたので、この先の人生はおまけのようなもの。感謝しながら毎日を楽しみ、人さまのお役に少しでも立てればと思います。皆さんも共に元気に頑張ってまいりましょう!」

いつもこんな笑顔だとよいのですが、まだまだ怖いのです・・・。

彼岸花は9月23日の花で、花言葉は「再会」だそうです。お寺の子らしく、お彼岸中日のこの日が誕生日の私。今日も嬉しい再会がありました。

歓喜天堂前の古い柘榴の木は江戸時代後期のものと伝え聞いています。

今年は大きな実が沢山つきました。

施餓鬼法要

8月18日、施餓鬼法要が無事に執り行われました。
今年はコロナ感染状況が今まで以上に深刻ななかでしたので、慎重に考えながらの法要となりました。
それでも厳かな雰囲気と檀家の皆さまの信心なお姿は例年通りで、懇ろに餓鬼供養とご先祖供養をしていただいたことは、混沌とした時世のなかで束の間心がスッと落ち着く時間でした。

※ 記事の一番下にある検索欄で「施餓鬼」と入力してみてください。毎年のお施餓鬼の様子がご覧になれます。