この方なしでは語れない

早いもので今日から12月、全国的に寒い日となりました。
師走の声をきくと、いっぺんにせわしなくなりますね。
これからは寒さ対策をしっかりとして、元気に冬を乗り切りましょう。

さて、少しブログの間が開いてしまいましたが・・・
秋には大きな法事が執り行われました。名誉住職孝照さんの祖母、「田中つな」さんの50回忌法要です。

この方、比叡山麓の坂本村に生まれ、後に國分寺101世住職となる孝正師の妻となりました。比叡山のお寺の住職であった孝正師は、國分寺の住職欠員にあたり地元檀家に懇願され、特命住職として津山の地へ赴任することとなり、つなさんも6人の子どもを連れて津山に赴きました。ところが数年後の大正8年、孝正師は48歳の若さで急逝、一説にはスペイン風邪が原因とも言われています。当時第一子である後の102世住職孝円師は、天台宗比叡山中学三年の17歳、末子は生後半年の乳飲み子だったそうです。
夫の孝正師亡き後は、外来者であるうえに大黒柱を亡くし、大変な苦労をしながら女手一つで子を育て、孝円師が比叡山での修行を終え津山の地に戻るまでお寺を守っていかれたそうです。

そんなつなさんが目に入れても痛くないほどに可愛がっていたのが、孫の孝照さんです。その孝照さんが50回忌法要を務めることは、互いにこの上なく嬉しいことでしょう。晩年まで、一生懸命に境内の草取りをするつなさんの姿が、孝照さんの目には焼き付いているそうです。強い意志と丈夫な身体で90歳までこのお寺を守り抜いた生き様は、寺婦の鏡と言えるでしょう。

この日は孫、曾孫、玄孫の三世代が集い、つなさんの人生に想いを馳せました。





 

秋の弁天まつり~2022

先日、巳の日に「弁天まつり」を行いました。
今年はコロナ禍以来、初めて檀家の皆さまにもお参りしていただき、10数名のご参拝をいただきました。

唱えていただくお経は「諸天讃(しょてんざん)」というもので、いつもご法事などで聞くものとは雰囲気が少し違って、明るく楽しく気持ち良くなるような旋律のお経です。
このお経を聞いた弁天様が、我々の元へ舞い降りてきてくださったでしょうか?
それは私にはわかりませんが、久しぶりに皆さまと一緒に「おんそらそば ていえい そわか」のご真言を大きな声で一心にお唱えしていたときには、弁天様に我々の思いがしっかりと通じていることを感じました。

さて、その法要の最後に孝楓住職さんからご挨拶があり、そのなかでこんなお話がありました。

30年ほど前のお話 ...

比叡山の弁天堂で小僧生活をしていた孝楓さん。
弁天様は神様ともいわれ、他の仏様とちょっと違うところがあります。
そのひとつはお酒をお供えするというものです。
一番下座(下っ端)である若い孝楓さんは、そのお酒を毎朝取り替えるのが仕事でした。

ある日の朝、目が覚めると頭が痛くて痛くてたまりません。いつもと違ってどうしても動きたくなくて、今日はお酒を替える仕事を休ませてもらおう、たった一度だけのこと、と怠け心がでてしまいました。
そうしていつもの仕事をしないまま朝のお勤めが始まりました。
孝楓さんはあまりの激痛に、ぼんやりしながら朝のお勤めをしていましたが、やっぱりどうにもお酒のことが気になって仕方がない。
そこで、お勤めが終わった後にはなりましたが、弁天様のお酒をお替えしました。
これで少し罪悪感がなくなった孝楓さんが一歩お堂の外へ出た瞬間、今まで頭を締めつけるように痛かった頭痛が嘘のようにすーっと消えていったのです。
その時孝楓さんはこう思ったそうです。
「なんと弁天様とは慈悲深い仏様なのか。私が悪い心をおこしてサボってしまったというのに、改心しさえすれば、その過ちを赦してすぐにおかげをくださるのか」と。
それ以来、怠け心が一瞬芽生えたとしても、常に誠実に仏道に励んでいるそうです。

そのエピソードを披露したうえで、こうも話されていました。
「こんなに慈悲深い弁天様にお参りなさった皆さまにも、きっとたくさんのおかげが、すぐにいただけることでしょう。皆さまが福男、福女となってご家族やご近所さん、お友達などにそのおかげをお裾分けしてください。」

秋晴れの爽やかなお天気のなか、清らかなお堂で弁天様のこのようなお話にふれ、気持ちのよい時間を過ごすことができました。

秋の出来事

やっと秋らしい爽やかな時候となりました。
暑すぎず、寒すぎずというこの好季節は昔に比べて短くなってきたように思いますが、雲の流れや虫の声、金木犀の香りにしばし心が安らぐ瞬間が、一日のなかで何度となく訪れます。

お彼岸前の週末には岡山県も大型台風が直撃し、お寺でも古い木が折れたり、お堂のガラス窓が割れるという被害がありました。
皆さまのところは大丈夫でしたでしょうか。

さて、9月には二つのニュースがあったので、ご報告します。

ひとつめは、お彼岸中日に美咲町(旧柵原町)休石(やすみいし)にある國分寺の兼務寺、西福寺(さいふくじ)で秋祭り法要が行われました。
山の上にひっそりと建ち、上品な阿弥陀様がそっとお祀りしてあるお寺です。

※2021年7月8日のブログでこのお寺のことをお話しました。最下部の「検索」という欄に「西福寺」と入力すると、前の記事がご覧になれます。

これまで西福寺では、春と秋の年二回、少ない人数ではありますが檀家全員が集まり、法要で歴代住職さまと檀家各家のご先祖供養をしてきました。
これはこの小さなお寺ならではの、とてもよい行事でした。
しかし、コロナ時代に突入してからは、皆でお参りすることもかなわず、大変残念なことです。
それでも今年は、法務の合間に國分寺からもお参りすることができ、孝楓さんの家族と共に一心にお勤めをしました。
美しいお顔の阿弥陀様も、静かに微笑んで喜んでくださっているようでした。



そして、ふたつめのニュースは・・・
孝照さんが9月13日にめでたく80歳の誕生日を迎えました!!
傘寿ということで、家族でささやかなお祝いを。
スマイルマークをデザインした黄色のTシャツに、幼名である「TAKAYUKI」の文字を入れてプレゼント。これからは「孝照さん」を時には離れて、人生を楽しんでほしい、という想いを込めました。
人並みに病院通いに忙しい身の上ですが、いつまでも元気で厳しい師僧、父であってほしいと願っています。

~孝照さんよりひと言~
「目標は80歳を迎えることでしたので、この先の人生はおまけのようなもの。感謝しながら毎日を楽しみ、人さまのお役に少しでも立てればと思います。皆さんも共に元気に頑張ってまいりましょう!」

いつもこんな笑顔だとよいのですが、まだまだ怖いのです・・・。

彼岸花は9月23日の花で、花言葉は「再会」だそうです。お寺の子らしく、お彼岸中日のこの日が誕生日の私。今日も嬉しい再会がありました。

歓喜天堂前の古い柘榴の木は江戸時代後期のものと伝え聞いています。

今年は大きな実が沢山つきました。

施餓鬼法要

8月18日、施餓鬼法要が無事に執り行われました。
今年はコロナ感染状況が今まで以上に深刻ななかでしたので、慎重に考えながらの法要となりました。
それでも厳かな雰囲気と檀家の皆さまの信心なお姿は例年通りで、懇ろに餓鬼供養とご先祖供養をしていただいたことは、混沌とした時世のなかで束の間心がスッと落ち着く時間でした。

※ 記事の一番下にある検索欄で「施餓鬼」と入力してみてください。毎年のお施餓鬼の様子がご覧になれます。

今年のお盆供養

今日はお盆の入り、ご先祖様が帰ってこられる日です。
お家の中で心静かにご先祖様のことを思いながら過ごされる三日間も大切なことと思います。コロナ対策、熱中症対策にもなりますしね。

本来ならばこの三日のうちに、お寺から初盆を迎えられる各家にお参りします。
しかしここにきてあまりにもコロナ感染者数が増加しているため、苦渋の決断により、お寺でお勤めをさせていただくことに急遽変更いたしました。

それぞれ予定していた同時刻にお家の方でも手を合わせていただき、共に充実した初盆の供養ができました。
従来の形式にとらわれず、今できる精一杯を尽くしていくことが大事だと改めて思うお盆となりました。

二会場に別れての初盆供養の様子

今年の弁天祭り

6月9日、巳(み)の日に弁天様の法要が執り行われました。
今年もみなさまとご一緒に集うことは叶いませんでしたが、法要とお寺の境内の様子をお伝えします。
次に行う予定の『秋の弁天祭り』では、ぜひみなさまにもお参りしていただきたいですね。

弁天様をお祀りしている回向堂(えこうどう)

キョウチクトウが綺麗に咲いていました

境内のキョウチクトウを少し頂いて

弁財天女品(べんざいてんにょぼん)というお経をお唱えしました

住職さんによると...今年の弁天様は非常に穏やかに迎え入れてくださったそうです

一心にこのご真言(しんごん)をお唱えし、弁天様のおかげをいただきます

歓喜天(かんきてん)様(聖天堂)の前には江戸時代後半からあるザクロの木
今年は沢山の花が咲いているので、沢山実がつくでしょうか?

鮮やかな赤い花を咲かせ

実をつけ始めています

境内の片隅にキキョウが少し早く目を覚ましました

貴重な富貴蘭(フウキラン)が槇の大木に宿っています
サツキも満開

愛車とのお別れ

立春を過ぎ、寒さのなかにも柔らかな陽ざしが春を思わせるようになりましたが、この週末はまたもや大寒波の到来。
今朝は少し雪が積もり、日中も強い風と粉雪が舞っていました。
そんな寒い日ではありましたが、本日のお勤めはご先祖供養ではなく…
愛車とのお別れのためのご供養でした。

お寺でのお勤めはお葬式をあげること、ご法事をすることだけではありません。
お墓を直したり、新しく建立したりする際にもお経をあげてしっかりご供養をいたします。

そのあたりまではみなさんご想像がつくと思いますが、他にも車を購入した際の安全祈願、家に関すること、木や土地を鎮めるためのものなどいろいろとあります。
お寺の裏庭防災工事の際には樹齢何百年という古い木を伐採するので、盛大に地鎮式を行いました。
これらはすべてきちんとした作法に則って執り行われます。

今日は廃車となるバイクの撥遣供養(はっけんくよう)をしました。
簡単なお供え物をして、読経が始まりました。


そして「法則(ほっそく)」と言われる文章でこれまでバイクと共に過ごした歴史が読み上げられると、施主(持ち主)の胸にはせまるものがあるようでした。

20年もの間持ち主とともに過ごしてきた愛車です。
愛着があるのはもちろんのこと、これまで事故なくその身を守ってくれたことに施主は感謝でいっぱいです。
なにもせずに手放すことは到底できないとの思いから、撥遣供養(はっけんくよう)を行うこととなりました。


ご供養を終えて施主からは、「廃車にしてしまって悪かったという気持ちでしたが、拝んでもらったあとは清々しい気持ちになって安心しました。」という言葉がありました。

大事にしていたもの、大切な思いがこもったものにもきちんとお別れをすることで、我々の気持ちも軽くなります。そして人やものをもっと大切にしようという心が生まれます。

このようにお寺の役目はご先祖供養といった大きなことだけではなく、日々の生活のなかにもあるのです。

弁財天法要

10月24日、巳(み)の日に弁天さまのお祭りをしました。
寒さが急にやってきたものの、その週は晴天続きだったので事前の掃除もはかどり、すっきりと爽やかな空気のなか法要を行いました。

本来ならば参拝のみなさまとヴァイオリンの奉納演奏に耳を傾け、美味しいおぜんざいをいただいたり、弁天護摩に願いを込めながら楽しいひと時を過ごすはずでしたが、今年も昨年同様、お寺の者だけでのお勤めで弁天さまもそっと佇んでいらっしゃるようでした。

来年はこのお堂にみなさまの笑顔が戻ってくることを願いながら、秋の弁天祭りは静かに終わっていきました。

 

施餓鬼(せがき)法要 2021

今年も無事に施餓鬼(せがき)法要が執り行われました。
お盆前からずっと続いていた雨は止まず、小雨降るなか最少人数で朝から準備が始まりました。

昨年に引き続きコロナ感染拡大防止のため参拝者用のテントなどは張らず、そして夜店(よみせ)も残念ながら今年は初めて「出店を取りやめます」という連絡がありました。
岡山県も非常に厳しい状況となっているので、感染拡大防止の意味で環境を整えることは必要です。
しかしながら、法要は江戸時代からずっと続いている大切な行事です。
この先どんな困難な状況下でも引き継いでいかなければなりません。

「施餓鬼(せがき)法要」とは常に喉が渇き飢えに苦しむ「餓鬼」(がき)に供物をし、無縁の諸霊を供養することで徳を積み、ご先祖様へも功徳を廻らす布施行です。
また「餓鬼(がき)」とは自分自身の心のあらわれのひとつでもあります。
つまり、むさぼりの心に捉われがちな我々の心をあらわしています。
餓鬼に対して施しをすることは、ひいては我々の欲しがる心をなくすことになります。

今はひたすら我慢のときですが、できない!我慢しなくては!と思えば思うほど苦しくなってしまいます。
そんなとき「餓鬼(がき)に施しをしたワタシ…」と、ちょっぴり優越感をもちながら、気持ちも行動もシンプルにし、欲しがる心をちょっと横に置いてみる。
そして、その後に残った気持ちや行動は優先してもいいのではないでしょうか。

ちなみに、施餓鬼(せがき)法要に参加できなくても日頃から餓鬼(がき)に施しをする方法があるんです。
それは「生飯」(さば)と言い、食事の最初に七粒程の少量の飯粒を別皿に取ります。
正式には祈りを込める際にお唱えする文言もありますが、完璧にしなくても気持ちがこもって入ればよしとしましょう。
他にもオリジナルで施しの行為を考え、実践すればよいのです。

苦難の日々も我々の大切な時間の一部です。
気持ちを楽にする方法をひとつでも多くもって、人生の大切な時を過ごしやすくしましょう。

集合したらまず最初にご本尊様にご挨拶。

役員さん三人だけお手伝いに来ていただきました。

施餓鬼壇(祭壇)を組み立てています。

雨なので玄関幕だけ取り付けました。

お勤めしてくださるお寺さんの控室も風通しの良い部屋に。
飲食はなるべく避けられるよう工夫しました。

お参りの方も日中からぽつりぽつりと。自然と分散してお参りされました。

雨のため施餓鬼壇は本堂内に設置。





いろいろと制限はありましたが、今年も無事に終わりました。