あけましておめでとうございます

新しい年が幕を明けました。

昨年は混乱の一年となり、変化を余儀なくされた日々でした。

同時に、自己を静観する日々であったようにも思います。

大晦日の朝は境内も雪景色となり、一面真っ白な世界に。

私たちの心も真っ白に、新しいこの一年がさまざまな歓びの色で彩られますように。

2021年も世界中に幸せを。

秋といえば

みなさまお元気ですか?

10月中頃からのひと月ほどが過ごしやすく好い時候でしたが、すっかり秋も深まり、朝晩の冷え込みが厳しくなってまいりました。

いろいろな行事が中止となり、季節を感じることや人と交わり集うことが難しくなりましたが、ご多分にもれず、この秋は食べることを例年以上に楽しんでいます。

柿、栗、さつま芋、キノコなどなど…。

お供えにあがった栗を栗ご飯にして、仏様にも秋の味覚を楽しんでいただきました。

お寺の裏庭にあるもみじの葉もきれいに紅葉し、ほんの少しの間我々の目を楽しませてくれていましたが、そろそろ終わりに近づいてきました。

この二枚の写真は孫の佑美(中2)が撮ったものです。

今年は紅葉狩りに出かけるというわけにもなかなかいきませんでしたが、いつもの道すがら脇に目をやると、そこかしこに秋を感じることができます。

境内にも、秋の草花が静かに揺れています。

今年も残りあとわずか、心も体もあたたかく元気に過ごしてまいりましょう。

秋の弁天まつり

昨日10月5日は巳(へび)の日、弁天様をお祀りする日でした。

今年はコロナ感染予防のため、例年の行事は取り止め、國分寺の僧侶達だけでお経をお供えしました。
お唱えしたのは金光明経大弁財天女品(こんこうみょうきょうだいべんざいてんにょぼん)。
弁天様のためだけのお経で、これを読むことで弁天様のお力がより一層いただけます。

このお堂は平成13年の開扉法要記念事業として、建てられたものです。
それまでは境内内の池に浮かぶ小さなお社でしたが、シロアリ被害により朽ち果ててきたのをきっかけに本堂南側に移築建立しました。

弁天様は商売繁盛、病気平癒など様々なご利益のある仏様ですが、なかでも技芸上達に強いお力をお持ちです。
妙音がお供えできるよう、一心にお唱えしていただきました。

堂内に響き渡る読経の声は、それはそれは格別なものでした。

来年の今頃は爽秋のなか、またみなさまと一緒に妙音を楽しめることを願っています。

孝楓住職、孝照名誉住職、孝惺副住職

西の空へ向かって

今日は秋分の日です。

彼岸は春分の日、秋分の日を挟んだ一週間を指しますが、春と秋のお彼岸を節目に季節は変わり目を迎えます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、確実に秋を感じる頃となりました。
しばしば、とてもきれいな夕焼けを見ることもできます。
写真は今日の夕暮れ時、孝照和尚さんが撮影したものです。

この時期は太陽がちょうど真西に沈むので「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」というお経には、沈みゆく太陽を拝み、その方角にある西方極楽浄土を想いなさいと説かれています。
お彼岸にお墓参りに行く習慣は、日本人の先祖崇拝と西方極楽浄土の思想が結びついてできたものです。

お墓参りをして日頃の感謝の気持ちを伝え、西の空へ向かってご先祖様に想いを馳せる。
それだけで我々の心が穏やかになるのは、やはりご先祖様がいつも見守ってくださっているおかげですね。

マスク姿で施餓鬼会(せがきえ)です

残暑お見舞い申し上げます。

処暑の頃とは言えないほどに残暑も厳しく夏の疲れもでる頃、みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
かく言う私、まさに夏バテ、施餓鬼法要が終わった翌日からしばらく寝込んでしまいました。
夏の間は皆がお参りに出てしまうので掃除や台所仕事など引き受けており、日中ほとんど家の中にいましたが、知らないうちに軽い熱中症状態になっていたのだろうと思います。
特に台所で火をつけて料理をしていると、その周りの気温はかなり上がっているそうですので、みなさまも台所に立つ際にはくれぐれもお気をつけくださいね。
そして、実は熱中症になる方の八割近くが家の中だということもニュースで伝えていました。
炎天下での労働でなくとも危険なほどのこの暑さ、クーラーがかかった部屋にいても知らないうちに熱中症を引き起こすそうです。
引き続きコロナ対策+熱中症対策に十分気をつけ、あと少しのこの夏を乗り切りましょう!

というわけで施餓鬼法要のご報告が遅くなりましたが、無事に法要は執り行われ、しっかりとお供養をしていただきました。


今年は暑さに加えて、より一層の気を配りながら。
まずはご本尊様に手を合わせてご挨拶ですが、炎天を避けた場所から失礼します。



毎年お手伝いくださる地元檀家のみなさまにはお休みいただき、少ない人数での準備となりました。


ご本尊薬師如来様と境内に建てられた大きな角塔婆をしっかりと繋ぐ「ぜんのつな」。
この綱に触れることによって、おかげをしっかりといただけます。



その昔から変わらず夜に行われる施餓鬼会(せがきえ)。
夕刻7時、鐘の音を合図に僧侶達が本堂へ移動します。


この夏デビューをはたした小僧さん達、二人揃ってこの度も参加させてもらいました。
初めてのことだらけで緊張の面持ちですが、現國分寺が再興されて250年来続く施餓鬼会(せがきえ)、こうやって代々継承されていくのだと実感する瞬間です。


餓鬼道に落ちた餓鬼達が、この法要で施された食べ物に一年に一度だけありつくことができ、その善行によって檀家各家のご先祖様も供養されます。


お参りし、ご本尊様に手を合わせ、施しをする。我々がその功徳を積むことによって、廻りまわって大きな先祖供養ができるのです。

今年も無事に伝統行事が行われました。大半のことが昨年と同じようにはいかない今年ですが、それでも脈々と続いていく大切なことがあります。そのひとつを終えてほっとひと安心の一同です。

今日はお施餓鬼です

本日、18日は施餓鬼法要。
19時より、國分寺本堂にて執り行われます。
今年は状況を鑑みて、例年のような設営などはいたしませんが、ご本尊様の前で厳粛にお供養をしていただきます。
広くどなたでもお参りしていただけます。

お寺の夏は7月中頃より各家のご先祖供養が始まり、お盆、そして施餓鬼供養と続きます。
暑い夏の盛りに、何度も堂内の掃除や法要の準備をしていきます。
子供も皆、手伝いますが、古い廊下の板は横に貼ってあるので向きに沿って拭かなければならず、一休さんのようにはいきません。
何十年もかけて、段々と掃除もうまくできるようになります。
それとともに、人格も成長していくのかもしれません。
ただ今のナンバーワンは孝月さん!





お盆前には檀家の方に手伝っていただき、境内や駐車場の草刈りもしました。
大先輩の皆さんに教えてもらいながら、炎天下のなか頑張りましたが、そんなのやっぱりムリ!ついてはいけません。
それなのに欲張って午後からも作業を続けた挙句は...ご想像の通り悲惨なものでした。
過信してはいけませんね。



このようにお寺の暑い夏はあっという間に過ぎていきます。

お経をお聴きください

一年に一度、ご先祖様にお会いできるお盆が終わりました。

初盆や先祖供養のお参り(棚経)は各家に出向いてお参りいたしますが、県外など遠方在住の檀家さんの場合はお寺でお供養する日を設けております。

その様子と、孝楓住職さんによるご先祖供養のための「阿弥陀経」の読誦をお届けします。


世情混沌の今年はお参りなさる方は少なかったですが、みなさまもそれぞれの場所で手を合わせておられたことと思います。

絵が得意な孝照和尚さんの手書きの案内です。

来年の夏は、多くの方が國分寺にお参りいただけるようになっているといいですね。

デビュー!

國分寺のお寺では、この夏も檀家各家のお盆のご先祖供養をしております。
マスク装着と消毒液を携帯し、細心の注意を払って回っていますが、ご高齢の方が多いので少々迷いながらのスタートでした。
しかし、みなさまからは労いの言葉を沢山かけていただき、本当にありがたいことです。
世情混沌のなか、人々の心に不安がある今こそ神仏におすがりし、ご先祖様を供養することで、きっと我々は助けていただけると信じております。

さて、昨年の夏には二人の男の子が得度し、新しく國分寺の弟子が誕生しました。
光胤(こういん)、一星(いっせい)です。

得度して初めて迎える今年の夏、学校の夏休み期間短縮や体調面などを考慮し、二日間のみお参りに同行させていただきました。
したがって、ごく近所の一集落のみですが、ふたりの小僧さんのデビューです!

共に小学五年生ですが、まだまだ甘えん坊で行儀もままならない二人、心配しながら送り出しましたが、お勤めを終えて戻ってきたときには明るい顔で嬉しそうに話を聞かせてくれました。

今月18日にある施餓鬼法要にも参加させていただくのでしょうか?先はどうなることやら分かりませんが、ひとつひとつのお寺の行事をお手伝いさせてもらいながら、僧侶として、またその前に一人の立派な人間として成長していくことができればと願います。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

代表して光胤(こういん)です

お盆に想うこと

厳暑お見舞い申し上げます。

長い梅雨が明けたとたん、猛暑日が続いています。
コロナ感染に気を配りながらのこの暑さは大変ですが、みなさま十分に気をつけて、けして無理をせずお過ごしください。
その日何もできなくても、何事もなく一日を終えられることは、それだけでとても幸せなことです。

さて、先月30日は國分寺102世住職、孝円和尚さんのご命日でしたので、内仏殿に寺族が集まりご回向をしました。

お唱えしたお経は「阿弥陀経」。
これは阿弥陀様の世界と阿弥陀様の功徳について説かれているお経です。
フリガナがついていますが、僧侶の勉強をしていない者にとって、お坊さん達について一緒にお唱えするのは大人でも難しいことです。
孝円和尚さんにとってはひ孫となる子供達も一生懸命お唱えし、そして孝照和尚さんから当時の話を聞かせてもらいました。

昭和52年の夏、檀務から戻られた孝円和尚さんは急に具合が悪くなられ、即入院となりました。
その年の夏は大そう暑い夏で、付きっきりで看病していた孝照和尚さんは、少しでも暑さが和らげばと氷柱を二本買ってきて病室に建てたそうです。
入院して5日目の夜、孝円和尚さんは「(國分寺を)頼むぞ、頼むぞ」と何度も繰り返し、遷化されました。
以来約50年、孝照和尚さんはその言葉を胸に、國分寺住職としての務めを果たしてきました。
自ら運んだ氷柱の重さとその言葉が忘れられない、と今でもよく話しておられます。

もうじき来るお盆は、子や孫にご先祖様のことを伝えていく良い機会です。
会ったことのないご先祖様のいろいろなエピソードを聞くうちに、沢山の命が繋がれて今ここに自分がいるのだ、ということにも気づいていくのではないでしょうか。
すると、今目の前にいる親や兄弟、家族を大事にし、自分自身を大切に思える。
その繰り返しで、我々の命や魂は受け継がれていくのだと、そんなことを考える暑い夏の夜です。

歴史を刻む石段

國分寺の門前には緩やかな傾斜の石段があります。
20数年前に少し工事をしました。かなり傾斜を緩くし、現代人の体格に合わせて段の幅を広げ、以前のものより無理なく昇り降りできるようになったので、どなたでも楽に昇ることができます。

この石段はお寺の歴史を物語っています。
石は門の建立以来のもので、多くのお参りの方々が踏みしめることによって磨き上げられてきました。
角は滑らかになり、優しい姿となって人々を迎えています。

石段というものは、単に土地の高低の理由からだけで作られているのではありません。
尊い仏様と我々の俗世界との境界となっています。
石段を上がり、門を一歩くぐればそこは清浄な天台峡となっています。
それゆえ、お参りのみなさんが門をくぐって境内を見渡しながら、「ここに入ると気持ちがすっとします。」とか、「ここの空気はとてもきれいですね。」と言われることが多いです。
同時に、敷居が高いと感じられることもあるかもしれません。
でも境内の内側、お寺で暮らしている我々も悩みや怠け心があったり、理想とする行いができず反省する毎日です。

みなさんもこの石段を超えて境内の中に身を置いてみてください。
そしてきれいな空気を胸いっぱい吸い込んで、仏様をお近くに感じてください。
そうすれば、きっと美しく誠実な心が芽生えることでしょう。