急にやってきた春、それも束の間、早いものでもう五月が始まりました。
ほんとうに季節が巡るのは早いものです。
お寺の桜も一気に咲きほこり、何度かその下でお弁当を広げてお花見もしました。
今は、サツキやツツジなど華やかな色の花が目を楽しませてくれています。
先々代の孝円和尚さんはサツキがお好きで、満開になるとサツキのお花見を楽しまれていたそうです。
みなさんのお宅のお庭も華やかなことでしょうね。
気候変動も激しいなかです、どうぞご自愛ください。
歴史と文化の城下町。美作国(みまさかのくに)つやま。
急にやってきた春、それも束の間、早いものでもう五月が始まりました。
ほんとうに季節が巡るのは早いものです。
お寺の桜も一気に咲きほこり、何度かその下でお弁当を広げてお花見もしました。
今は、サツキやツツジなど華やかな色の花が目を楽しませてくれています。
先々代の孝円和尚さんはサツキがお好きで、満開になるとサツキのお花見を楽しまれていたそうです。
みなさんのお宅のお庭も華やかなことでしょうね。
気候変動も激しいなかです、どうぞご自愛ください。
急に暖かくなったり、真冬の寒さに戻ったりと忙しい三月でした。
毎年檀家さんのお庭からいただく啓翁桜(けいおうざくら)。このひと月でかたい蕾から一週間ほどで開花し、今もなお満開の状態のまま、楽しませてくれています。
ここ県北の地では、旧暦の4月4日まで雛飾りをだしておく家があります。お寺でも昔からそのようにしていましたので、ひと足早い桜とおひなさまの共演にお参りのみなさまも喜んでくださっています。
雪が降るほどに寒い日や20度を越す暖かい日まで、環境はいろいろに移り変わりながらも、木々や花々は静かに確かに花を咲かせ実をつける。
我々も、かくありたいと思う今日この頃です。
立春を過ぎ、寒さのなかにも柔らかな陽ざしが春を思わせるようになりましたが、この週末はまたもや大寒波の到来。
今朝は少し雪が積もり、日中も強い風と粉雪が舞っていました。
そんな寒い日ではありましたが、本日のお勤めはご先祖供養ではなく…
愛車とのお別れのためのご供養でした。
お寺でのお勤めはお葬式をあげること、ご法事をすることだけではありません。
お墓を直したり、新しく建立したりする際にもお経をあげてしっかりご供養をいたします。
そのあたりまではみなさんご想像がつくと思いますが、他にも車を購入した際の安全祈願、家に関すること、木や土地を鎮めるためのものなどいろいろとあります。
お寺の裏庭防災工事の際には樹齢何百年という古い木を伐採するので、盛大に地鎮式を行いました。
これらはすべてきちんとした作法に則って執り行われます。
今日は廃車となるバイクの撥遣供養(はっけんくよう)をしました。
簡単なお供え物をして、読経が始まりました。
そして「法則(ほっそく)」と言われる文章でこれまでバイクと共に過ごした歴史が読み上げられると、施主(持ち主)の胸にはせまるものがあるようでした。
20年もの間持ち主とともに過ごしてきた愛車です。
愛着があるのはもちろんのこと、これまで事故なくその身を守ってくれたことに施主は感謝でいっぱいです。
なにもせずに手放すことは到底できないとの思いから、撥遣供養(はっけんくよう)を行うこととなりました。
ご供養を終えて施主からは、「廃車にしてしまって悪かったという気持ちでしたが、拝んでもらったあとは清々しい気持ちになって安心しました。」という言葉がありました。
大事にしていたもの、大切な思いがこもったものにもきちんとお別れをすることで、我々の気持ちも軽くなります。そして人やものをもっと大切にしようという心が生まれます。
このようにお寺の役目はご先祖供養といった大きなことだけではなく、日々の生活のなかにもあるのです。
明けましておめでとうございます。
2022年は雪と寒さのなかでの年明けとなりました。
各地で大雪となっているようですので、今後も十分お気をつけください。
大晦日の除夜の鐘、お正月を迎えるにあたっての準備も今までのようにはできないことがいろいろとありましたが、無理をせず今できる精一杯を尽くしました。
今年もそんな一年になりそうですが、心穏やかに笑顔で過ごしてまいりましょう。
今年一年がみなさまにとってより良い年となりますよう、お祈り申し上げます。
年の瀬も押し迫ってまいりました。大寒波到来のクリスマスの夜です。
今年は12月に入ると天気をみながら少しずつ大掃除を進め、今日までになんとかお寺の掃除が一段落するよう早め早めに取り組んできました。
やはりお堂の内外がきれいになると寒さも手伝って、更に気持ちがキリッと引き締まります。
しかし、この寒さのなかで無理は禁物。何がなんでもやらなくては!ではなく、加減しながらできることをできる範囲でやれたら良いのではと思います。諦めるのも難しいことですが、「諦めること=執着しないこと」も時には必要ですよね。
孝照住職さんも来年は満80歳です。お堂掃除には参加せず、でもいろいろとやりたいことが沢山の人ですから大人しくしていてもらうのも大変です。
そんな孝照さんのクリスマスにまつわるエピソードをひとつご披露。
その昔、娘達が二十歳前後の頃、クリスマスの夜にみんなでパーティーをしようと計画。雰囲気をだすためにキャンドルを沢山灯したかった私達は、なんと般若心経がぐるりと刻まれたふとーい蝋燭まで拝借してパーティー準備(仏さま!その節は大変失礼しました)。ちょうど会場準備が整ったときに部屋に入ってきたのは最強に厳しい時代の孝照さん。「なんだこれは!」と言うが早いか、フー!フー!フーーー!!!とキャンドルの灯を片っ端しから吹き消してしまったのです。「やめてー!誕生日じゃないんだからーーー!!」と叫ぶ娘達。それはまさに諦めの瞬間。あえなくパーティーは強制終了されてしまいました。20年以上経った今でもこの話をして大笑い、孝照さんの性格をよく表したエピソードのひとつです。
そんな孝照さんも、今や孫にかわいいサンタのケーキを買ってきてくれるまでに。人間、変わるものです(笑)。以前ブログでもお話ししましたが「変化する」ことを恐れてはいけません。随分な変化を遂げたことで孝照さんは新しい楽しみを知ったことでしょう。あぁ…私達もクリスマスパーティーしたかった。。。
さて、先週末は初雪だったにもかかわらず、10センチほど雪が積もり驚きました。今回は更に積雪が多くなるようですので、どうかお気をつけください。大掃除もしばし休憩ですね。
今朝から冷たい雨が降る津山です。
小春日和が続いた先週、紅葉も見頃を迎えていました。
裏庭のモミジの木は大きく育ち、青紅葉、紅葉と一年を通して我々の目を楽しませてくれます。
境内からは見えにくく、お参りくださってもなかなか見ることができないのが残念。
というわけで、写真だけでも楽しんでいただけたらと思います。
ちなみにこの裏庭は石仏で極楽浄土を表現したもので、木々や石庭がライトアップされた様子は阿弥陀様のおられる極楽浄土そのもの、とても神秘的です。
この雨を境にぐっと寒くなるようですので、みなさまご自愛ください。
次の二枚の写真は紅葉が進んだ様子です
ひと月ほどで全体が色付きました
水面に映った景色がキレイです
その景色は・・・これでした
10月24日、巳(み)の日に弁天さまのお祭りをしました。
寒さが急にやってきたものの、その週は晴天続きだったので事前の掃除もはかどり、すっきりと爽やかな空気のなか法要を行いました。
本来ならば参拝のみなさまとヴァイオリンの奉納演奏に耳を傾け、美味しいおぜんざいをいただいたり、弁天護摩に願いを込めながら楽しいひと時を過ごすはずでしたが、今年も昨年同様、お寺の者だけでのお勤めで弁天さまもそっと佇んでいらっしゃるようでした。
来年はこのお堂にみなさまの笑顔が戻ってくることを願いながら、秋の弁天祭りは静かに終わっていきました。
日中は真夏日のような暑い日もありますが、高い空にいわし雲、畦には真っ赤な彼岸花と、目には爽やかな秋晴れが訪れています。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、異常気象に悩まされながらも、やはり季節の変わり目を感じます。
お彼岸にはお墓参りに行かれた方、帰省が叶わなかった方、いろいろであったと思いますが、それぞれにご先祖様のことを想われた秋の良き日だったことでしょう。
特にお彼岸中日、秋分の日には祝日ということもあり、お寺の南に位置する墓地にも朝からお墓参りの方が多く見られました。
ずいぶん昔の秋分の日の朝、孝月さんは第二子である次女を産みました。
お彼岸のさなか、お産してる場合じゃない!と気が引けたそうですが(笑)、そうも言っておられず病院へ駈け込んで素早く子どもを産んだそうです。
前日まで大きなお腹で廊下の拭き掃除をしていたそうですが、これが良い運動になってよかったのかもしれないと、今では面白おかしく話してくれますが、大変だったことと思います。
お見舞いに来た当時3才だった孝楓さんは、お昼に出されたおはぎにくぎ付け、赤ちゃんそっちのけで大きなおはぎをひとりでぺろりと食べてしまったそうです。今でもおはぎが大好きな孝楓さんです。
みなさんもお彼岸にはおはぎを食べましたか?
おうち時間という言葉がよく聞かれるようになりました。
みなさんもおうちでゆっくり、ご先祖様や仏様と心の中で対話し、穏やかな時間を過ごしてくださいね。
紅オクラ・二輪菊・孔雀草・ススキ
秋の庭園
撫子
紫式部
女郎花
秋明菊
歓喜天様前の柘榴の木
例年は二つほどしか実をつけませんが、今年はこんなに沢山!珍しいことです
今年も無事に施餓鬼(せがき)法要が執り行われました。
お盆前からずっと続いていた雨は止まず、小雨降るなか最少人数で朝から準備が始まりました。
昨年に引き続きコロナ感染拡大防止のため参拝者用のテントなどは張らず、そして夜店(よみせ)も残念ながら今年は初めて「出店を取りやめます」という連絡がありました。
岡山県も非常に厳しい状況となっているので、感染拡大防止の意味で環境を整えることは必要です。
しかしながら、法要は江戸時代からずっと続いている大切な行事です。
この先どんな困難な状況下でも引き継いでいかなければなりません。
「施餓鬼(せがき)法要」とは常に喉が渇き飢えに苦しむ「餓鬼」(がき)に供物をし、無縁の諸霊を供養することで徳を積み、ご先祖様へも功徳を廻らす布施行です。
また「餓鬼(がき)」とは自分自身の心のあらわれのひとつでもあります。
つまり、むさぼりの心に捉われがちな我々の心をあらわしています。
餓鬼に対して施しをすることは、ひいては我々の欲しがる心をなくすことになります。
今はひたすら我慢のときですが、できない!我慢しなくては!と思えば思うほど苦しくなってしまいます。
そんなとき「餓鬼(がき)に施しをしたワタシ…」と、ちょっぴり優越感をもちながら、気持ちも行動もシンプルにし、欲しがる心をちょっと横に置いてみる。
そして、その後に残った気持ちや行動は優先してもいいのではないでしょうか。
ちなみに、施餓鬼(せがき)法要に参加できなくても日頃から餓鬼(がき)に施しをする方法があるんです。
それは「生飯」(さば)と言い、食事の最初に七粒程の少量の飯粒を別皿に取ります。
正式には祈りを込める際にお唱えする文言もありますが、完璧にしなくても気持ちがこもって入ればよしとしましょう。
他にもオリジナルで施しの行為を考え、実践すればよいのです。
苦難の日々も我々の大切な時間の一部です。
気持ちを楽にする方法をひとつでも多くもって、人生の大切な時を過ごしやすくしましょう。
集合したらまず最初にご本尊様にご挨拶。
役員さん三人だけお手伝いに来ていただきました。
施餓鬼壇(祭壇)を組み立てています。
雨なので玄関幕だけ取り付けました。
お勤めしてくださるお寺さんの控室も風通しの良い部屋に。
飲食はなるべく避けられるよう工夫しました。
お参りの方も日中からぽつりぽつりと。自然と分散してお参りされました。
雨のため施餓鬼壇は本堂内に設置。
いろいろと制限はありましたが、今年も無事に終わりました。