スタンプラリーイベント!


雨の日が続いていますが、この暖かさで県北の桜も早々と咲き始めました。

津山といえばお城山の桜。

徐々にイベントも行われるようになっており、沢山の観光客で街が賑わうことかと思います。

そんな桜の季節に合わせて、面白いイベントがスタートします。

その名も

【 ミリオンライダーズスタンプラリー 
 〜100万人でつくる未来〜  in 津山 】
 2023.4.16.25

ライダー向けのまちおこしイベントで、津山の観光スポット6ヶ所にスタンプ台を設置。ツーリングでそれらのスポットを巡ったライダー達にスタンプを集めてもらい、SNSで応募すると商品が当たるという仕組みです。行楽シーズンの津山により多くのライダーに来てもらい、それによって地域の活性化を図るというものです。

この企画意図に賛同し、國分寺のお寺も協力させていただきます!

主催するのはバイクをテーマに津山で様々な活動をしている4人組「山族ライダーズ」。
小さなご縁も重なり、スタンプの設置場所のひとつにこの國分寺が選ばれ、お話がきました。
これまでの活動内容やメンバーの方々の思いを詳しく伺い、地元の活性化と、よりよい未来を願い、行動するパワーと誠実さに心打たれました。

このイベントの成功と、若い力がどんどん発揮されていくことを願い、微力ながら応援していきたいと思います。

バイカーもそうでない方も是非、この機会に津山を訪れイベントに参加してみてください。

https://million-riders.com/

地元の津山朝日新聞(2023.3.10)にも大きく掲載されていました

3月22日、津山城の桜は開花宣言されました

昨日、お城の下の方の桜はわずかに蕾を残してほぼ満開に

東日本大震災犠牲者を想い

3月11日、震災発生より今年で丸12年となる今年は13回忌法要を行い、寺内の者で心を込めて追悼いたしました。

12年前のこの日、東北地方は雪が舞い、当地も大変に寒い日でした。
あの凄惨な状況は、テレビの映像を通してみている我々まで恐怖と寒さに震えるようでした。そのことは今でもはっきりと思いだされます。

今年は連日暖かい日が続き、境内の木々は次々と花を咲かせています。
犠牲者の魂を悼むと同時に、被災された方々、そして生かされた方々の心に一輪でも多くの花が咲くことを願いました。

2時半頃からお勤めを開始しました

2時46分には読経のなか、静かに祈りを捧げました

2時46分、境内では鎮魂の鐘を打ちました

12年前、四十九日法要の際には、東の方角に向かって大きな角塔婆を建立しました

樹齢100年を過ぎる梅の古木、この日花は満開に

一週間前はまだ蕾も沢山あり、風情いっぱいでした

枝垂れの白梅

こちらは、同じ一本の木に紅梅と白梅が混ざって咲いています

山茶花も咲き乱れ

毎年いただく啓翁桜、今年は玄関前に生けてみました

花が咲いてからも長く楽しめます

玄関の生け花も春の花で溢れています

木瓜・菜の花・つげ

黒猫柳・トルコ桔梗・ユーカリ・麦
青麦の花言葉は『希望、繁栄、豊作』
東北の地へ届きますように

 

悲しみと向き合うということ

随分と春らしくなりましたが、ここ津山の地では一月の大雪以降二度、三度と雪が積もり、今日は風が強く、雨とみぞれと雪が降る荒れた天気となりました。

さて、今日はある新聞記事に掲載されていたお話をご紹介します。

悲しみを抱えた人を支える「グリーフケア」という活動についてで、上智大学グリーフケア研究所非常勤講師、入江杏さんの活動です。

入江さんは23年前に起きた未解決事件「世田谷一家殺害事件」で妹家族4人を失った遺族です。
偏見と差別から傷つき、事件のことを知られないようにと沈黙のまま6年間を過ごしたそうです。

しかし、様々な葛藤のなか「グリーフケア」というものを学ぶうちに、語りを阻害している偏見の出どころを見つめ、そこから語ることを始めたそうです。
そして、犯罪や事件とは直接関係のない人達にも様々な悲しみがあって、「自由に悲しんでいい」というメッセージを共有する機会を作っています。

ー喪失に伴う悲嘆(グリーフ)は誰の心にもあるものー

入江さんはその歩みのなかで気づいたことがあると言います。

「こうあるべきだ」という社会のメッセージが強く、日々もっと強く明るく、元気に、健やかにとせきたてられ、生活のなかの些細な悲しみに立ち止まる余裕が与えられない。それゆえに、悲しみを語ることに怖さを感じている人も少なくないのではないでしょうか。

万葉集の挽歌(ばんか)や源氏物語などでは男女問わずよく涙をこぼし、「かなしみ」を表現しています。そして「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ」「美しみ」「愁しみ」と様々な漢字があてられることからも多くの意味を持っていました。
でも今の日本社会では、「かなしみ」の豊かさは理解されず、ただ怖い、やっかいなものとして忌避されているのではないでしょうか。

入江さんはそんな「かなしみ」の豊かさを取り戻すヒントとして、このように語っています。

「かなしみ」は忌むべきものではない。その中にいる人は、弱い人でもない。かなしみは「乗り越える」というものではありません。喪失の体験やかなしみとの向き合い方に、特別な処方箋はありません。かなしみを恐れることなく、生きていれば誰にでもある豊かなものとして捉え、率直にその経験や苦しみを本心で自由に語ることのできる安全で安心な場や人間関係を増やしていくことが大切なのではないでしょうか。

そして最後にこう締めくくられていました。

足元に立ち戻ると、当然のことですが事件の解決を願わない日はありません。「かなしみ」も心の中に抱き続けています。それでも、亡き人達との出会い直しを通して「悲しみは愛しみ」と気づくことができました。十分にあなたらしく悲しんでいい。「そこから」と語りかけていきたいです。

(朝日新聞より抜粋)

我々はまさに悲しみの渦中にいる方とお話することが日常です。
家族や近しい人を失った悲しみは言いようのない喪失感、そしてたとえ同じ家族でも立場が違えばまたその想いも人それぞれで、自身以外は計り知れないものだと思います。
そのうえで、その方の悲しみに寄り添いながら仏様と皆さまの橋渡しができるよう共にご供養することが我々の使命であり、常にそれを念頭に置いて日々過ごしております。
ですが、前向きになれるように、との思いがつい走ってしまい、急かしているのではないか、励ますつもりの言葉が悲しみを封じているのではないか…この記事からそんなことを考えさせられました。

悲しみと向き合うということ・・・
答えはでませんが、これからも考え続けていこうと思います。
そして少なくとも、人々の苦しみや、「かなしみ」を本心で自由に語ることのできる安全で安心な場が、お寺であるよう努めて参ります。

紅梅

福寿草

白梅

啓翁桜

啓翁桜・カラー・椿