津山郷土博物館

昨日、津山郷土博物館で開催中の冬季企画展「津山藩の武具」に行ってきました。

刀や鎧が展示してあり、津山藩士黒田家伝来の甲冑や、それそれは大きな熊毛槍など、迫力ある貴重な品を間近で見ることができました。
歴史好き…というわけではない私でしたが、ついつい時間を忘れてひとつひとつに見入ってしまいました。

この博物館には美作國分寺から発掘された瓦も常設展示してあります。
他にも美作國分寺由来の陶棺などは、弥生の里文化財センターに展示してあります。
郷土博物館には美作地方の大きな珍しい形の陶棺が展示してありました。
解説によると、陶棺は全国で発掘されたものの7割が岡山県内で出土したものであり、とりわけ美作地方に集中しているそうです。

地元に居ながら初めて訪れた郷土博物館。
郷土の壮大な歴史に触れ、この地域がいろいろな面で大変豊かであったことがわかりました。
そして、改めて美作国府、美作国分寺、そして美作の国の歴史や壮大さを感じることができました。

みなさまも一度足を運んでみたらいかがでしょうか。
これからの季節は、すぐ後ろにそびえる立派な津山城跡の石垣と見事な桜の共演も楽しめますよ。

国分寺の前身である美作国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇によって仏教の力で社会を鎮め、国の安定を図るために国ごとに造ることを命じられました。
当時、都では政治が乱れ、全国的に飢饉や疫病が流行するなど不安定な状態が続いており、国分寺の建立はそれらの救いの意味でも国家の一大プロジェクトだったのです。

本日18時過ぎ、東北地方でまた大きな地震が発生しました。
津波注意報も発令されています。
地震があった地域のみなさまのご無事をお祈りします。

1300年近くも前、今と同じように世が混乱していたのかと思うと、国分寺の果たすべき役割をまた改めて強く感じます。

 

津山郷土博物館

http://www.tsu-haku.jp/

弥生の里文化財センター

http://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=63

 

これからのお供養は

新型コロナウイルス感染症の変異株が登場し、日本でも数例の発症がみられています。
そして先週末には、30年続いた大学入試センター試験が大学入学共通テストというものに代わり、行われました。
いずれもそれ自体の意味合いは変わりませんが、内容は大きく変わり、我々を戸惑わせています。

一方、奇しくも形を変えなければならなかったけれど、やってみると案外それもよかったということもありました。

お寺ではお正月、玄関でお参りの皆さまをお迎えする正月花。
例年、暮れに檀家の方がご自宅の大王松を剪定し、その一部をお寺へ届けてくださっていました。
それを使わせていただいて、華やかな迎え花を制作していましたが、今年のお正月は自粛して準備を進めようと話していたところ、大王松も届きませんでした。
きっと同じように考えられてのことと思います。
最初は何も飾らないでおくことになりましたが、それでも新しい年を迎えるにあたり何かお飾り的なものをと考え、オブジェを作ってみることにしました。
最近このような渋い感じのものが、おしゃれで目を惹きます。
見よう見まねで、以前使って残しておいた花材や、雪の中、境内地の裏山から採ってきたもので、なんとかそれらしく形になったのではないかと悦に入っています。

2019年 いただいた大王松と青竹が清々しく

2020年 大王松と境内の梅の枯木を使いました

2021年 境内の楚々とした侘助を添えて

今年のお花には晴れやかさはないかもしれませんが、評判は上々。皆さんはどちらがお好みでしょうか?

コロナとの共生という大きな変化の時を迎え、各家のご先祖供養の仕方も変化を求められています。
地元を離れ東京や大阪在住の檀家の方、お仕事柄行動を制限されている方、ご家族がご高齢で注意しなければならない、など。
様々な理由がありますが、心配事は皆同じ。
かと言って大切な故人のお供養ができないのでは、心も穏やかではいられません。

これまで個別にご相談いただき、我々も試行錯誤しながらいくつかの方法で法事を営んでまいりました。

・ご自宅でご家族だけで(ごく近いお身内少人数で)
・その時の世間の状況を踏まえ、時期を決めたうえで延期する(日時が決まっていれば先延ばしになっても構いません)
・お寺でお勤めをし、当家では同時刻にお仏壇の前で手を合わせる(ネット環境が整っていればズームやテレビ電話なども)
・お寺で塔婆を供養する

その他にも考えられることがあるかもしれません。

何事も「コロナだからできない」と言ってしまうのは簡単で、「コロナだからやらない」というのが最も楽な方法かもしれません。
しかし、共に考え、皆さまの心の平穏のためにもしっかりとご先祖供養をしてまいりましょう。
形を変えなければならなかったけれど、やってみると案外それもよかったと思えたとき、きっと皆さまの心はすっきりと晴れやかであることでしょう。

成人の日

新成人の皆様、おめでとうございます。

晴れやかなこの日を迎えられた姿をテレビなどで目にすると、大寒波と緊急事態宣言に重くなっていた心に、輝くような笑顔が染み渡ります。
成人式が中止や延期となり、昨年とは様子が違う成人の日となりました。

今年の受験生についてもそうですが、「かわいそうに…」という声をよく耳にします。
その気持ちは優しさからくるもので、私たちもついそんな風に言ってしまいがちです。

でも、それは決して不運なことではありません。
置かれた状況、環境で最大限の力を発揮することに注力し、この試練を乗り越えてください。
マイナスな条件をプラスに変えることができれば、きっとその後の人生にも大きな力になるはずです。

どの部分にフォーカスして物事をみるか。
それによって、結果までもが違ってくるのだと思います。
日常はその繰り返しなのです。
私たち大人もみんな、がんばりましょう!

あけましておめでとうございます

新しい年が幕を明けました。

昨年は混乱の一年となり、変化を余儀なくされた日々でした。

同時に、自己を静観する日々であったようにも思います。

大晦日の朝は境内も雪景色となり、一面真っ白な世界に。

私たちの心も真っ白に、新しいこの一年がさまざまな歓びの色で彩られますように。

2021年も世界中に幸せを。

秋といえば

みなさまお元気ですか?

10月中頃からのひと月ほどが過ごしやすく好い時候でしたが、すっかり秋も深まり、朝晩の冷え込みが厳しくなってまいりました。

いろいろな行事が中止となり、季節を感じることや人と交わり集うことが難しくなりましたが、ご多分にもれず、この秋は食べることを例年以上に楽しんでいます。

柿、栗、さつま芋、キノコなどなど…。

お供えにあがった栗を栗ご飯にして、仏様にも秋の味覚を楽しんでいただきました。

お寺の裏庭にあるもみじの葉もきれいに紅葉し、ほんの少しの間我々の目を楽しませてくれていましたが、そろそろ終わりに近づいてきました。

この二枚の写真は孫の佑美(中2)が撮ったものです。

今年は紅葉狩りに出かけるというわけにもなかなかいきませんでしたが、いつもの道すがら脇に目をやると、そこかしこに秋を感じることができます。

境内にも、秋の草花が静かに揺れています。

今年も残りあとわずか、心も体もあたたかく元気に過ごしてまいりましょう。

西の空へ向かって

今日は秋分の日です。

彼岸は春分の日、秋分の日を挟んだ一週間を指しますが、春と秋のお彼岸を節目に季節は変わり目を迎えます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、確実に秋を感じる頃となりました。
しばしば、とてもきれいな夕焼けを見ることもできます。
写真は今日の夕暮れ時、孝照和尚さんが撮影したものです。

この時期は太陽がちょうど真西に沈むので「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」というお経には、沈みゆく太陽を拝み、その方角にある西方極楽浄土を想いなさいと説かれています。
お彼岸にお墓参りに行く習慣は、日本人の先祖崇拝と西方極楽浄土の思想が結びついてできたものです。

お墓参りをして日頃の感謝の気持ちを伝え、西の空へ向かってご先祖様に想いを馳せる。
それだけで我々の心が穏やかになるのは、やはりご先祖様がいつも見守ってくださっているおかげですね。

今日はお施餓鬼です

本日、18日は施餓鬼法要。
19時より、國分寺本堂にて執り行われます。
今年は状況を鑑みて、例年のような設営などはいたしませんが、ご本尊様の前で厳粛にお供養をしていただきます。
広くどなたでもお参りしていただけます。

お寺の夏は7月中頃より各家のご先祖供養が始まり、お盆、そして施餓鬼供養と続きます。
暑い夏の盛りに、何度も堂内の掃除や法要の準備をしていきます。
子供も皆、手伝いますが、古い廊下の板は横に貼ってあるので向きに沿って拭かなければならず、一休さんのようにはいきません。
何十年もかけて、段々と掃除もうまくできるようになります。
それとともに、人格も成長していくのかもしれません。
ただ今のナンバーワンは孝月さん!





お盆前には檀家の方に手伝っていただき、境内や駐車場の草刈りもしました。
大先輩の皆さんに教えてもらいながら、炎天下のなか頑張りましたが、そんなのやっぱりムリ!ついてはいけません。
それなのに欲張って午後からも作業を続けた挙句は...ご想像の通り悲惨なものでした。
過信してはいけませんね。



このようにお寺の暑い夏はあっという間に過ぎていきます。

デビュー!

國分寺のお寺では、この夏も檀家各家のお盆のご先祖供養をしております。
マスク装着と消毒液を携帯し、細心の注意を払って回っていますが、ご高齢の方が多いので少々迷いながらのスタートでした。
しかし、みなさまからは労いの言葉を沢山かけていただき、本当にありがたいことです。
世情混沌のなか、人々の心に不安がある今こそ神仏におすがりし、ご先祖様を供養することで、きっと我々は助けていただけると信じております。

さて、昨年の夏には二人の男の子が得度し、新しく國分寺の弟子が誕生しました。
光胤(こういん)、一星(いっせい)です。

得度して初めて迎える今年の夏、学校の夏休み期間短縮や体調面などを考慮し、二日間のみお参りに同行させていただきました。
したがって、ごく近所の一集落のみですが、ふたりの小僧さんのデビューです!

共に小学五年生ですが、まだまだ甘えん坊で行儀もままならない二人、心配しながら送り出しましたが、お勤めを終えて戻ってきたときには明るい顔で嬉しそうに話を聞かせてくれました。

今月18日にある施餓鬼法要にも参加させていただくのでしょうか?先はどうなることやら分かりませんが、ひとつひとつのお寺の行事をお手伝いさせてもらいながら、僧侶として、またその前に一人の立派な人間として成長していくことができればと願います。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

代表して光胤(こういん)です

お盆に想うこと

厳暑お見舞い申し上げます。

長い梅雨が明けたとたん、猛暑日が続いています。
コロナ感染に気を配りながらのこの暑さは大変ですが、みなさま十分に気をつけて、けして無理をせずお過ごしください。
その日何もできなくても、何事もなく一日を終えられることは、それだけでとても幸せなことです。

さて、先月30日は國分寺102世住職、孝円和尚さんのご命日でしたので、内仏殿に寺族が集まりご回向をしました。

お唱えしたお経は「阿弥陀経」。
これは阿弥陀様の世界と阿弥陀様の功徳について説かれているお経です。
フリガナがついていますが、僧侶の勉強をしていない者にとって、お坊さん達について一緒にお唱えするのは大人でも難しいことです。
孝円和尚さんにとってはひ孫となる子供達も一生懸命お唱えし、そして孝照和尚さんから当時の話を聞かせてもらいました。

昭和52年の夏、檀務から戻られた孝円和尚さんは急に具合が悪くなられ、即入院となりました。
その年の夏は大そう暑い夏で、付きっきりで看病していた孝照和尚さんは、少しでも暑さが和らげばと氷柱を二本買ってきて病室に建てたそうです。
入院して5日目の夜、孝円和尚さんは「(國分寺を)頼むぞ、頼むぞ」と何度も繰り返し、遷化されました。
以来約50年、孝照和尚さんはその言葉を胸に、國分寺住職としての務めを果たしてきました。
自ら運んだ氷柱の重さとその言葉が忘れられない、と今でもよく話しておられます。

もうじき来るお盆は、子や孫にご先祖様のことを伝えていく良い機会です。
会ったことのないご先祖様のいろいろなエピソードを聞くうちに、沢山の命が繋がれて今ここに自分がいるのだ、ということにも気づいていくのではないでしょうか。
すると、今目の前にいる親や兄弟、家族を大事にし、自分自身を大切に思える。
その繰り返しで、我々の命や魂は受け継がれていくのだと、そんなことを考える暑い夏の夜です。

歴史を刻む石段

國分寺の門前には緩やかな傾斜の石段があります。
20数年前に少し工事をしました。かなり傾斜を緩くし、現代人の体格に合わせて段の幅を広げ、以前のものより無理なく昇り降りできるようになったので、どなたでも楽に昇ることができます。

この石段はお寺の歴史を物語っています。
石は門の建立以来のもので、多くのお参りの方々が踏みしめることによって磨き上げられてきました。
角は滑らかになり、優しい姿となって人々を迎えています。

石段というものは、単に土地の高低の理由からだけで作られているのではありません。
尊い仏様と我々の俗世界との境界となっています。
石段を上がり、門を一歩くぐればそこは清浄な天台峡となっています。
それゆえ、お参りのみなさんが門をくぐって境内を見渡しながら、「ここに入ると気持ちがすっとします。」とか、「ここの空気はとてもきれいですね。」と言われることが多いです。
同時に、敷居が高いと感じられることもあるかもしれません。
でも境内の内側、お寺で暮らしている我々も悩みや怠け心があったり、理想とする行いができず反省する毎日です。

みなさんもこの石段を超えて境内の中に身を置いてみてください。
そしてきれいな空気を胸いっぱい吸い込んで、仏様をお近くに感じてください。
そうすれば、きっと美しく誠実な心が芽生えることでしょう。