秋のいろどり

日中は真夏日のような暑い日もありますが、高い空にいわし雲、畦には真っ赤な彼岸花と、目には爽やかな秋晴れが訪れています。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、異常気象に悩まされながらも、やはり季節の変わり目を感じます。

お彼岸にはお墓参りに行かれた方、帰省が叶わなかった方、いろいろであったと思いますが、それぞれにご先祖様のことを想われた秋の良き日だったことでしょう。
特にお彼岸中日、秋分の日には祝日ということもあり、お寺の南に位置する墓地にも朝からお墓参りの方が多く見られました。

ずいぶん昔の秋分の日の朝、孝月さんは第二子である次女を産みました。
お彼岸のさなか、お産してる場合じゃない!と気が引けたそうですが(笑)、そうも言っておられず病院へ駈け込んで素早く子どもを産んだそうです。
前日まで大きなお腹で廊下の拭き掃除をしていたそうですが、これが良い運動になってよかったのかもしれないと、今では面白おかしく話してくれますが、大変だったことと思います。

お見舞いに来た当時3才だった孝楓さんは、お昼に出されたおはぎにくぎ付け、赤ちゃんそっちのけで大きなおはぎをひとりでぺろりと食べてしまったそうです。今でもおはぎが大好きな孝楓さんです。

みなさんもお彼岸にはおはぎを食べましたか?
おうち時間という言葉がよく聞かれるようになりました。
みなさんもおうちでゆっくり、ご先祖様や仏様と心の中で対話し、穏やかな時間を過ごしてくださいね。

紅オクラ・二輪菊・孔雀草・ススキ

秋の庭園

撫子

紫式部

女郎花

秋明菊

歓喜天様前の柘榴の木

例年は二つほどしか実をつけませんが、今年はこんなに沢山!珍しいことです

施餓鬼(せがき)法要 2021

今年も無事に施餓鬼(せがき)法要が執り行われました。
お盆前からずっと続いていた雨は止まず、小雨降るなか最少人数で朝から準備が始まりました。

昨年に引き続きコロナ感染拡大防止のため参拝者用のテントなどは張らず、そして夜店(よみせ)も残念ながら今年は初めて「出店を取りやめます」という連絡がありました。
岡山県も非常に厳しい状況となっているので、感染拡大防止の意味で環境を整えることは必要です。
しかしながら、法要は江戸時代からずっと続いている大切な行事です。
この先どんな困難な状況下でも引き継いでいかなければなりません。

「施餓鬼(せがき)法要」とは常に喉が渇き飢えに苦しむ「餓鬼」(がき)に供物をし、無縁の諸霊を供養することで徳を積み、ご先祖様へも功徳を廻らす布施行です。
また「餓鬼(がき)」とは自分自身の心のあらわれのひとつでもあります。
つまり、むさぼりの心に捉われがちな我々の心をあらわしています。
餓鬼に対して施しをすることは、ひいては我々の欲しがる心をなくすことになります。

今はひたすら我慢のときですが、できない!我慢しなくては!と思えば思うほど苦しくなってしまいます。
そんなとき「餓鬼(がき)に施しをしたワタシ…」と、ちょっぴり優越感をもちながら、気持ちも行動もシンプルにし、欲しがる心をちょっと横に置いてみる。
そして、その後に残った気持ちや行動は優先してもいいのではないでしょうか。

ちなみに、施餓鬼(せがき)法要に参加できなくても日頃から餓鬼(がき)に施しをする方法があるんです。
それは「生飯」(さば)と言い、食事の最初に七粒程の少量の飯粒を別皿に取ります。
正式には祈りを込める際にお唱えする文言もありますが、完璧にしなくても気持ちがこもって入ればよしとしましょう。
他にもオリジナルで施しの行為を考え、実践すればよいのです。

苦難の日々も我々の大切な時間の一部です。
気持ちを楽にする方法をひとつでも多くもって、人生の大切な時を過ごしやすくしましょう。

集合したらまず最初にご本尊様にご挨拶。

役員さん三人だけお手伝いに来ていただきました。

施餓鬼壇(祭壇)を組み立てています。

雨なので玄関幕だけ取り付けました。

お勤めしてくださるお寺さんの控室も風通しの良い部屋に。
飲食はなるべく避けられるよう工夫しました。

お参りの方も日中からぽつりぽつりと。自然と分散してお参りされました。

雨のため施餓鬼壇は本堂内に設置。





いろいろと制限はありましたが、今年も無事に終わりました。

 

 

残暑お見舞い申し上げます

今年も暑い夏となりましたが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
お盆前からは雨が続き、注意が必要となっています。
みなさまのお住まいの地域はいかがでしょうか。
被害がでないことをただただ、祈るばかりです。

さて、お寺では7月中旬からお盆のお参りが始まりました。
酷暑のなかでしたが幸い雨にも降られず、体調を崩す者もなく無事に終えることができました。
そして、今日14日には遠方檀家さんの盆供養をいたしました。
特に遠方のみなさまは帰省もままならず、不安な毎日をお過ごしのことと思います。お寺で懇ろにご供養いたしましたので、どうぞご安心ください。

8月18日夕刻7時からは施餓鬼法要が執り行われます。
今年も昨年同様、準備の手伝い方の人数を最小限にしたり、参拝者が密にならないよう気をつけながらも、法要自体は変わらずしっかりとお勤めさせていただきます。

みなさま、引き続きご自愛くださいませ。

8月14日、お知らせしました時刻に会館にてお勤めいたしました。離れていても心を同じくし、無事にご先祖供養ができましたこと大変嬉しく思います。(孝楓住職さんより)


いつも元気な孝楓さんですが、酷暑のなかみなさんにお会いできることだけを励みにがんばりました。



昨年に続き小僧さんも二日間だけ同行させてもらいました。
朝は緊張の面持ちで出発した光胤(こういん)さん、戻った時にはちょっとだけお利口さんになっていました。仏様と檀家さんのおかげです。

8月6日、広島の原爆犠牲者の霊を慰める鐘を76回つきました。8月9日、長崎の原爆犠牲者の霊を慰める鐘を76回つきました。



慶光山 西福寺


久米郡美咲町休石(くめぐんみさきちょうやすみいし)の山の上に、 西福寺(さいふくじ)というお寺があります。

先々代住職の孝円さんの代から國分寺の住職さんが兼務しているお寺です。
今は孝照名誉住職さんが、住職を務めています。

創建は1500年代と考えられていますが、ご本尊様をめぐって真言宗のお寺と奪い合いがあり、この山の上から下へとご本尊様が動かされたこともあるとか…。
それほど魅力的なご本尊様だったようです。


このお寺のご本尊様は阿弥陀様。
とてもオリエンタルなきれいなお顔立ちです。

今はたくさんの紫陽花が綺麗に咲いています。
時季には桜や紫陽花が楽しめ、山の上にあるので広く青い空に、鳥の声が響き渡るのどかな良い場所です。
昔は細い山道を登ってお参りしていましたが、今ではありがたいことにお寺の門前まで大型バスが入るように整備されています。
ぜひ一度お参りしてください。

   

六月始まりました

梅雨の中休みだった昨日、境内の梅の実を採りました。
昭和45年4月の前住職さんの結婚式の日にも満開の白い花を咲かせ、その様子を見守っていたこの梅の木は、その随分前から境内にあったそうです。
大きく立派な実を今年も沢山つけました。





今、境内はサツキの花でいっぱい。珍しく華やかな景色となっています。



以前もお話しましたが、本堂脇には幕末から僧侶達が飲んでいたお茶の木がわずかな株で残っています。
今年は摘みそびれ、一昨日ようやく摘んでみたところ、大きくなりすぎた葉はうまくよれませんでした。
やはり八十八夜にちゃんと摘まないといけないものなのですね。





裏の畑で育てた紫陽花です。
20年ほど前に西福寺(孝楓さんが住むお寺)の檀家さんから株分けしてもらったものです。今では大きな株になり、雨に濡れ元気に咲く姿に、在りし日のこの方を重ねます。
西福寺のお寺の周りに花をたくさん育て、紫陽花や桜でいっぱいにしてくださったそうです。


孝楓さんが今日お参りに伺ったお宅でいただいたお茶。
お茶菓子はなんともかわいいアマビエさま!
この場でみなさんにもお届けしたいと、お断りして写真を撮らせてもらったそうです。
一日も早い平穏な日々を願う気持ちはみな同じ、そしてこんなにかわいいお茶タイム、思わず笑顔になりますね。

いつもと違って

中国地方は早くも梅雨入りしました。
例年よりも二十日以上早いようですが、終わる時期は同じぐらいになるそうなので、長く梅雨空が続くようです。

相変わらずお寺での行事も縮小、中止が続いています。
先日には岡山県にも緊急事態宣言が発令され、みなさんともなかなかお会いすることが難しい状況となっています。

さて、五月上旬は爽やかな天気が続き、境内の雑草も勢い良くぐんぐん伸びてきました。
これも例年のことですが、この時期は専ら境内の草取りやお寺の周囲の雑草刈払いが我々の主な仕事となります。
気分的には晴耕雨読の日々なので、雨が降るとホッとする一方、その後の雑草の成長を考えると、ゾッとします。

雨上がりの良く晴れたこの日も外へ出て、草と格闘しました。
しかし外仕事をすることが当たり前のように思えない未熟な私達は、すぐに何かご褒美的な楽しいことを探します。
というわけで、この日のお昼ご飯は外で食べることにしました。
中に入って食べる際にはどろどろの服を脱いだり(ここでひと悶着起こる→ムスメがチチを怒る!)、時間がひどく遅くなったり(お腹が空きすぎて機嫌が悪くなる者続出)、など問題がいろいろありますが、見慣れた景色でも外を眺めながらのお昼ご飯はちょっとした気分転換になって楽しかったです。
とは言え、お寺の玄関、格好悪い?お客様が来られたらどうしよう?…とドキドキしましたが(笑)

みなさんも「いつもと同じ」を少し変えてみてはいかがでしょうか。

場所を変えてみる、雰囲気を変えてみる、方法を変えてみる、手順を変えてみる。

ほんの少しの変化でもとても楽しく大きく気分が変わるかもしれません。
些細なことで見える景色が違ってくるかもしれません。

『何事にもとらわれず、変化を受け入れること』
以前とは変わってしまった我々の生活においても、必要とされていることです。

般若心経に度々でてくる「空」という言葉、この解釈は様々ですが、ひとつの物事に執着したりひとつの価値観に縛られる必要はないのだと、そんな風に考えることもできるのかなぁ、などと思ったのでした。

“近くて便利”なコンビニがあってほんと助かります。

お客様が来られたら恥ずかしい・・・
でも誰も来てはくれませんでした。ご時世でしょうか。

自然のチカラ、完璧にはきれいになりませんが、青く澄み渡る空の様に気持ちはスッキリしました。

前回のブログでお話したウコン桜、4/20撮影のものです。遅ればせながらお届けします。

 

 

急ぎ足の春でした

今年は例年より少し早く、津山の桜も開花しました。

境内の桜も津山城(鶴山公園)と同時期に満開に。

天気も良く、良いニュースが少ないなか心躍る日々でした。

境内には珍しい鬱金桜(ウコンザクラ)という種類の桜もあり、これは例年だと四月下旬頃から咲き始めます。

2019年5月5日のブログでもご紹介しましたが(写真も掲載しています)、京都哲学の道で名誉住職さんが初めて見て気に入り、取り寄せて植栽したものです。

別名「美人桜」と呼ばれるこの珍しい桜は、花の色が萌黄色から桃色に移り変わり、人々を魅了します。

ぜひ、この珍しい美人さんにも会いにお越しください。

さて、次からは 津山城(鶴山公園)の桜です。

ここでは桜を眼下に見下ろすことができ、その景色はなかなかに見事です。

ちなみに津山城(鶴山城)の石積は天台宗の祖山、比叡山山麓の坂本という地の穴太(あのう)衆が積み上げたものです。

穴太衆は寺院や城郭などの石垣施工をしていた技術集団で、穴太流という積み方で巨石を巧みに積み上げています。

来年の桜の季節には、ぜひ石垣にもご注目してお城のお花見を楽しんでください。

津山郷土博物館

昨日、津山郷土博物館で開催中の冬季企画展「津山藩の武具」に行ってきました。

刀や鎧が展示してあり、津山藩士黒田家伝来の甲冑や、それそれは大きな熊毛槍など、迫力ある貴重な品を間近で見ることができました。
歴史好き…というわけではない私でしたが、ついつい時間を忘れてひとつひとつに見入ってしまいました。

この博物館には美作國分寺から発掘された瓦も常設展示してあります。
他にも美作國分寺由来の陶棺などは、弥生の里文化財センターに展示してあります。
郷土博物館には美作地方の大きな珍しい形の陶棺が展示してありました。
解説によると、陶棺は全国で発掘されたものの7割が岡山県内で出土したものであり、とりわけ美作地方に集中しているそうです。

地元に居ながら初めて訪れた郷土博物館。
郷土の壮大な歴史に触れ、この地域がいろいろな面で大変豊かであったことがわかりました。
そして、改めて美作国府、美作国分寺、そして美作の国の歴史や壮大さを感じることができました。

みなさまも一度足を運んでみたらいかがでしょうか。
これからの季節は、すぐ後ろにそびえる立派な津山城跡の石垣と見事な桜の共演も楽しめますよ。

国分寺の前身である美作国分寺は、天平13年(741年)聖武天皇によって仏教の力で社会を鎮め、国の安定を図るために国ごとに造ることを命じられました。
当時、都では政治が乱れ、全国的に飢饉や疫病が流行するなど不安定な状態が続いており、国分寺の建立はそれらの救いの意味でも国家の一大プロジェクトだったのです。

本日18時過ぎ、東北地方でまた大きな地震が発生しました。
津波注意報も発令されています。
地震があった地域のみなさまのご無事をお祈りします。

1300年近くも前、今と同じように世が混乱していたのかと思うと、国分寺の果たすべき役割をまた改めて強く感じます。

 

津山郷土博物館

http://www.tsu-haku.jp/

弥生の里文化財センター

http://www.tsuyamakan.jp/tour/detail/?pk=63

 

東日本大震災慰霊法要

東日本大震災から10年の月日が経ちました。
今なお行方がわからない方もあり、被災者、ご遺族の方々のこの10年は耐え難く、我々には計り知れない想いで過ごされたことと思います。
そして、これからもその苦しみは続いていくのかもしれません。

被災地の中継をテレビで観ていたら、被災され、ご家族が亡くなられた方からこんな言葉を聞きました。
「亡くなった家族やみなさんの冥福を祈るとともに、遺された自分達の幸せも祈りました。」
その通りだ!と、目から鱗が落ちる思いでした。
親兄弟、子や孫、親しい人を失った方達が生きることは、想像を絶するほどつらく苦しいことでしょう。
しかし、生き続けることこそが何よりの供養となり、遺された者の使命なのかもしれません。
この言葉を聞いて、今日は犠牲者の霊を慰めると同時に、そんな多くの方々の幸せも心の中で祈り、彼の地へ心を寄せて過ごしました。

阿弥陀様の仏前と、四十九日法要の際ご本尊薬師如来様に向かって建立された大きな角塔婆の前で、慰霊のお経をあげました。

地震発生時刻の14時46分には、魂を慰める鐘をつきました。

春を告げる花々が優しく、ただそこにありました。